脱芝庭……最初から挫折寸前

脱芝庭before
2011年4月

「目指せ! 素敵なエディブル・ガーデン」ということで、いきなり庭の芝生をひっぱがしてしまったのは今年のゴールデン・ウィークのこと。それまで緑に被われていた畳3、4畳分ぐらいの芝地を、食用に適する植物の栽培スペースに変えるべく、一気呵成にGO!!

芝庭after
2011年6月

 と、勢いではがしちゃったものの、もう秋風吹きすさぶ11月だというのに我が庭は時間が止まったかのよう。裸にされた荒涼たる大地に今や雑草のオマケ付き……というのはいかなることでありましょうか。いやもうだって夏は暑かったし、紫外線怖かったし、蚊も多かったし、仕事も忙しかったし(当時)、と誰にともなく言い訳しながら庭に出て、恐る恐る移植ごてで地面を突ついてみる。
 こ、これは……もうエジプト文明の奴隷に任せたくなる類いの仕事ですわね。地表はすっかりコチンコチンになってて、とてもレディ・ガーデナーの細腕では太刀打ちできまへん。あきまへんでっせ(細腕繁盛記風)。

脱芝庭after2
2011年11月

 しかし! そんな弱音を吐いていたらいつまで経っても「素敵なエディブル・ガーデン」は実現できない〜!! 苦難の道のりが予想される大事業を前に、焦燥と絶望感にクラクラしながら移植ごてを握りしめれば、首筋に吹き付ける木枯らしがやけに冷たい。
 やっぱ冬は寒いし。新しい言い訳を考え始める私であった。
 

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2011/11/09(水) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

芝生をひっぱがせ! そして食べられるものを植えよう!

アメリカ風景
いかにもアメリカっぽい風景(写真はイメージです)

「Tear off your lawn and plant some food」なんてことがアメリカで今世紀の初めぐらいから言いだされ、今やちょっとしたブームになっているらしい。アメリカの家庭の芝生と言えば、家の前のけっこうな広さのスペースを占めていて、新聞配達が新聞を投げ込んだり、子供が小遣い稼ぎに芝を刈ったりする……そんな光景が映画やテレビを通じて私たちの頭に刷り込まれている。かように典型的なアメリカン・ライフスタイルを象徴するものが今や存亡の危機に瀕しているのだ。……というのは大嘘で、相変わらず彼の地では芝庭が主流・本道であるに違いない。しかし、少しずつ変化が訪れつつあるのも事実のようだ。

オバマ大統領夫人
ミッシェルさんも芝生ひっぱがしてますね。おしゃれすぎてエディブル・ガーデナーの鑑です。

 なにしろ今や世界を席巻する家庭菜園ブームである。オバマ大統領夫人のミッシェルさんもホワイトハウスで家庭菜園をやってるらしい。ファースト・レディが芝生をひっぺがすというのは想像できないが(と思ったら、この写真。きっとやらせに違いない)、アメリカの多くの家庭菜園家たちが「なんでいちばん日当りのいい場所に芝生を植えておくかな?」と考え始めたとしても不思議はない。ことに100年に一度の経済危機でリストラなんかされて家にいたりしたら、大人の場合芝生を刈ったってお駄賃ももらえないのだ。「だったら何か食えるものでも」と思うのが人情だろう。芝生をひっぺがして食べられるものを植えよう!──大きなムーブメントになりそな予感。


2011/11/09(水) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

『The Edible Front Yard』

『EDIBLE FRONT YARD』

 私も「芝生をひっぺがして食べられるものを植えよう!」なんて、ある日突然天啓を受けたがごとくに思い立って庭をほじくり返しはじめたわけではない。ちゃんとネタ本があるのだ。『エディブル・フロントヤード』──イヴェット・ソラーというロサンジェルスに住むガーデン・デザイナー/ライターの女性が今年出版した大型本。私の長年の友人で写真家のアン・スマが写真を担当したと聞き、興味を引かれて購入してみた。

 南カリフォルニアの明るい空のもと、生命力が沸き立つような植物の写真を満載した実用本だ。表紙には「美しくて豊かな庭のための、刈らずにどんどん育てるプラン」とある。植物の説明などにもかなりのページを割いているが、「食べられるものを作る」ことと同じくらい「庭としての美しさを維持する」ことに重きが置かれており、筆者の庭作りへの信念が伝わって来る。

イヴェット・ソラー
 著者、イヴェット・ソラーの近影。やっぱ、エディブル・ガーデナーはきれいじゃなくちゃ!

 たしかに家の前の「顔」とも言うべきフロントヤード(前庭)なのだから、ただの野菜畑にするわけにはいくまい。なんとなく「家庭菜園」というものに長らく抵抗感を覚えていた私に、これはまさに天啓だった。たとえ芝生をはがして食べられるものを植えるからといって、野菜畑にしてしまうことはないのだ。庭園っぽく見せながらも食べられるものは作ることができるのだ。我が家の庭など、ここに紹介されているフロントヤードの5分の1もない猫の額で、もちろんバックヤードなんてもんは存在しないが、このアイデアは使える! 暗闇の中に一条の光が見えた一瞬だった。

2011/11/11(金) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

芝庭の光と影

芝庭ティー
芝生のティータイム。気分はビクトリアン

 春の柔らかな陽光のもと、朝露をきらめかせた緑の絨毯が広がる。そのむこうに咲き乱れる花々を眺めながら、さわやかな朝のティータイム。芝庭を持っている人だけが楽しむことのできる贅沢な週末のひとときだ。
 そう、その楽しみを否定するつもりはまったくない。朝の庭で、芝生の上に置いたテーブルにケーキやお茶のセットを並べ、小鳥の声を聞きながら澄んだ空気を吸い込めば、ここは地上のプチ・パラダイス!
「なーにが。狭っこい庭でプチブル趣味さらしてダサさの極致!」なんて、言いたいヤツには言わせておけ。庭茶の歓びも知らずに一生を終える哀れなヤツなのだ。せいぜい好きなように言わせてやろう。

 とはいえ。このように陶酔感溢れる芝の上のティータイムが楽しめるのはあまりにも短い期間なのである。寒くなくて、暑くもなく、日差しが強すぎず(重要)、蚊がいなくて(大変重要)……となると、東京郊外の我が家の場合、一年のうちのほんの2ヶ月ぐらい。平日はそんなヒマないし、天気がよくなきゃダメだしで、庭茶ができるのは年に5、6度。さらに、年を取るにつれ、移動が億劫だの、新聞が読みにくいだの、椅子が堅いだのネガティブな要素が増えて来てその回数はさらに減少傾向に。

芝庭犬
写真はイメージです。駆け回ってないけど

 そうなると、他に芝庭の素晴らしさってことで一般的イメージとして思い浮かぶのは、犬や子供が駆け回るの図であるが、我が家には犬もいなけりゃ子供もいない。いい大人が駆け回る事情もありがたいことにないので、利用価値の低いスペースになっていると言える。

 あと、芝庭ならゴルフができるという意見もあるかと思うが、残念ながら我が家の庭は猫の額。しかも、我が家にはゴルフを嗜む者がいないのであった。

2011/11/14(月) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

芝庭の光と影2

芝庭 
遠目にはきれいな芝庭なんだけど。

 郊外の一軒家に引っ越して来たら、芝生の庭はお約束である。いや、今はそうじゃないのかもしれないが、少なくとも我が家がここI城市にやって来た1990 年代半ば、芝庭はどの家でも標準装備だった(やや大げさ)。てか、導入を迷ったり悩んだりした記憶が全然ないのだ。

 しかし、最初に芝生を維持する大変さを知っていたらどうだったろうか。

 まず、一夏に最低でも4、5回は芝刈りが必要だ。我が家では芝刈りはO谷さん(うちのダンナ)の担当で、彼は芝刈りとは一家のアルジたる者の成すべき仕事と信じ込んでいるらしく、さして文句も言わずに汗みずくになって芝を刈っていた。もちろん、桃太郎のおじいさんのように柴を刈る(=薪を集める)わけではなく、芝刈り機で芝生を刈るのです。といって機械が勝手にやってくれちゃったりはしない。刈った芝をきれいに集めて捨てるのだって結構な労力だ。

また血止め草
チドメグサ。円形の葉の連なりが一見愛らしいのだが

 しかし、もっと大変なのは雑草取りだと言いたい。遠目にはきれいに見える芝生でも、ちょっと放っておくと雑草がジャカスカ生えて来る。オヒシバやカタバミなんてまだ可愛いもんで、チドメグサやゼニゴケなんかが生え出したらあっという間にびっしり広がって、芝を脅かさんばかりになってしまう。それを(我が家は環境保護・動物愛護の精神なので)ひたすら人力で除去せねばならないのである。

ゼニゴケ 
ゼニゴケ。妖怪のような気味の悪さ。ああ、これがほんとに銭だったなら!

春のうちは渋々ながらも雑草取りに精を出すのだが、夏になるともういけません。紫外線はお肌の大敵! っていうことで、夏が終わる頃には芝の緑なのか雑草の緑なのか判別不能状態になっているのが常であった。


2011/11/15(火) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

芝庭の光と影3

実家の庭
東京K分寺市にある実家の庭。まだ初春なので芝生は枯れてます

 私の実家も芝庭で、今や老齢の母親がひとりで維持しているのだが、なかなかきれいである。造園した40数年前から一度も張り替えることなく今に至っており、日本芝の寿命が7、8年ほどという説もあることを考えると大した管理ぶりと言えるだろう。

 母親が言うには、最初から徹底的に雑草を取り去っていれば種が飛ぶこともなく、雑草抜きなどにはさほど苦労しないそうだ。しかし、湿気の多いジャパニーズ・ガーデンに苔はつきもの。芝生が生えていようがなんだろうが苔の侵入はいかんともしがたく、なんとかしようと思ったら毎日ひたすらむしってむしってむしり続けるしかない。今やひたすら苔をむしるという行為が快感になってしまって、庭仕事でいちばん楽しいのはそこ、無心になっていくらでも続けられるとさえ言う。残念ながら私などはとてもそんな境地にほど遠く、しょせん芝庭など持てる器量はなかったのだと思ってしまう。

実家の庭2
右手の灰色っぽい部分がカビ被害に。強剪定してある

 そして、彼女によると芝生を維持する上でもっとも重要なのは「立ち入らないこと」だとか。たしかにドカスカ歩き回ったのでは芝生が痛む、というのは容易に想像できる。
 って、それじゃ芝生の上でティータイムなんてもってのほかじゃないですか!? それが嬉しくて芝生を植えたっていうのに。

 しかし、母親に言わせれば「芝生は遠きにありて拝むもの」であって、そこで飲食、宴会の類いは御法度。庭茶などという行為は理解しがたいし、理解したくもないとのこと。
 そんなに芝生を大切にしているにもかかわらず、先日はカビが発生して大騒ぎだったらしい。恩も顧みない憎い芝である。ますます引っぱがしたくなって来る。



2011/11/16(水) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

マンネリ化するガーデニング

昔の庭
メチャクチャ気合い入ってた頃の花壇。これでもかっちゅう感じやね。

 あるいは相当な労力と情熱を芝生の維持に吸い取られてしまうためか、芝庭の芝生でない部分の庭作りはおざなりになりがちである。って、それは私に限った話かも……大いにあり得る。
 とりあえず最初の造園の段階で家のまわりに適当に木など植えてもらったものの、やはり中心に来るのは芝生、そしてその周囲に配された花壇である。なにしろ芝生に太陽がふんだんに当たらなくてはならないから、芝生の隣には背の低いお花畑、と相場が決まっているのだ。なんたって芝生の緑に鮮やかな色のお花が映えるもんね。

 だいたい年に二度、初夏と晩秋ぐらいに大々的な花の植え替えを行なう。夏に向かってパンジー、ビオラ、ノースポールなどの勢いがなくなって来たら、マリーゴールドやペチュニア、インパチェンスなどを買って来て植え替え、またその花が寒さで勢いを失う頃、パンジー以下春の花軍団を購入して植え替える。もちろん、真夏のケイトウとか真冬のハボタンとか季節限定のものはその都度買い足して植え足す。

7人の小人 
売ってるってことは、こういうの庭に並べてる人がいるってことだよね!?

 初期の頃はガーデニングという新しい趣味に興奮していたから、遠くの園芸店まで足を伸ばしたり、サカタのタネやらタキイのタネやらの通信販売を利用したりして珍しいものやお値打ちのものなどバンバン買いまくっていた。あのときの自分は、丸山健二が言うところの「ガーデニングおばちゃん」そのものだったと思う。まあ庭にディズニーの小人の陶製人形とか並べたりするところまでは行ってなかったけどね。

2011/11/17(木) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

マンネリ化するガーデニング2

花壇
ぐちゃぐちゃ……美は乱調にあり? チューリップの球根はかならず植えてたなあ。

 しかし、これは飽きるのである。
 もちろん「今年はマリーゴールドはやめてベゴニアにしよう」というようにその年ごとに工夫を凝らして雰囲気を変えることはできる。今まで植えたことのない花にトライすることもできる。シザーハンドみたいに花を動物の形に刈り込むことだってできる(たぶん)。でも、ふと「これって冬になってソファのカバーを冬用のに替えることと同じじゃん」と思ってしまう。そんな時が来るのだ。

 なんとなれば、花壇に花を植えることが、花を愛でる気持ちからでなく「つねに花でいっぱいにしておかなければならない」という強迫観念からくる行為になってしまっているからだ。そうなると、当然種を蒔いて花を咲かせるなんて悠長なことをしているわけにはいかず(たとえば10月にはホームセンターでパンジーの花のついた苗を売っているが、種から育てていたら春にならないと咲かないのだ)、ばんばん花苗を買って来て空いたスペースを埋めることになる。季節なんかほとんど無視、オーガニックでもナチュラルでもなく、クリエイティブでもなんでもない。そうなってしまったら、いずれ飽きる。

パンジー 
花が半年は咲いているパンジーは花壇の救いの神。

 しかも、ソファのカバーなら毎年同じのが使えるが、花の場合その都度新規購入しなきゃならない。うちの花壇など、誰が見るわけでもないのにそこそこスペースがあるもんだから毎年植え替えのときにはお金がジャンジャン出て行く。まるで土の中に吸い込まれて行くかのようだ。
 

2011/11/18(金) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

さよならマンネリ芝庭

引っぱがし前 引っぱがし前

 というわけで、芝生維持の苦役から逃れ、花壇作りへの虚しい投資を減らすため……否、マンネリ化したガーデニングに方向性を与え、新しい価値観に基づいたクリエイティブかつナチュラル指向の庭を創造しよう!と心に決めて、16年間丹誠込めて育て上げた芝生を(そのわりには汚くてハゲっちょろで雑草だらけであったが)意を決して引っぱがしたのである。
 その結果は、このブログの第一回目に詳しい。……って、まったく頓挫しちゃってるじゃないですか!?

 いやいやいやいや、こういうことは焦ってやっちゃいけないんですよ。今後の我が家の政治経済文化活動に多大な影響を与えることだけに、周到な準備が肝心。こうしてブログなど作って自分を追い込みつつ(って誰も読んでないからてんで追い込まれてないんだけど)、新しいエディブル・ガーデン作りの行程をこれから進行に合わせながら随時記録していこう、と思う。

引っぱがし後 引っぱがし後

 どんなデザインにしよう、いつ・何を植えよう、苗を買おうか種から育てようか、などと夢は荒野を駆け巡るが、まずはこの芝生引っぱがしの後始末ですな。ほっくり返し。ふるいにかけて根っこや石ころなどを排除し、耕し、黒土や腐葉土有機肥料などをがっぽり加えてまた耕す。さーうだわねえ〜、来年春の種まきシーズンまで(どどーんと先に設定)にはなんとか完了させます! といちおう宣言しておこうかな、人知れず、こっそりと……。

2011/11/21(月) | 脱芝庭宣言 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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