映画『ツリー・オブ・ライフ』

ツリー・オブ・ライフ 
テレンス・マリック監督の力作。やや力入り過ぎかも。

 よくあるような父と子の葛藤を天地創造的なスケールで描いていて、あまりの壮大さに途中で寝そうになった映画である。中でいちばん印象的だったのは、かつては成功の絶頂にあった父親(ブラット・ピットが好演!)が庭を潰して作った菜園にひとり佇むシーンだ。
 この家の前に広がるフロントヤードにはかつて芝生が植えられていた。厳格で口うるさい父親は息子に芝の刈り方を教え、それがきちんとできていないと激しく彼をなじった。しかし、歳月が経ち、そこは家庭菜園になっている。素人のまねごとのような育て方のせいだろうか、キャベツは虫が食い、ろくに結球しておらず、さんざんな出来である。呆然としゃがみ込む父親の背中のあまりの淋しさに、息子は近づいて無言のまま寄り添うのだ。
 しばらくして、観客は父親が事業に失敗したことを知る。ついに家族は住み慣れた家を追われ、どこか別の街へと引っ越して行く。

ツリー・オブ・ライフ2 
芝生の庭で集う父親と子供たち。かなり雑草多いですね。

 というわけだ。つまり、芝生を引っぱがして家庭菜園を作るというのは、あたかも凋落を象徴するような悲哀に満ちた行為なのである。そりゃそうでしょ、家計が火の車だってのに役にも立たない芝生にジャンジャン水をまいたり芝刈りに無駄な労力を費やしたりはできない。何か今夜のご飯の足しになるものを作りましょうよ、ってことになってもまったく不思議じゃないのだ。

 言い換えるなら、芝生を引っぱがして家庭菜園を作ると、なんだか芝生のお庭を維持できない切実な事情があると取られかねない。あらぬ疑惑をまき散らすことになる。
「あらー、あそこのご主人たら地面耕しちゃってるわよ」「リストラされたんじゃないの? このところ顔色悪かったもん」「まあやだ、食べるのにも困ってるってこと?」みたいな。

 だから、芝生を引っぱがしたあとは注意が必要だ、と言いたい。まあね、ブラピが一緒にやってくれるんなら家庭菜園でもなんでもいいんだけどさ。

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2011/12/01(木) | 悲しい家庭菜園 | トラックバック:(0) | コメント:(1)

庭をやめるのをやめる

サツマイモ 
戦時中に人気の野菜はこれ!

 庭を潰して畑にする、草花を育てるのをやめて野菜にする……というのが官民一体となって進められていた時代がある。太平洋戦争の頃、食料自給のため人々は庭に芋類や穀物などを植え育てていたようだ。これが日本における家庭菜園の最初の大ブームと言えるかも!?
 戦争という特殊な状況で、食べ物も配給制度で思うように手に入れられず、食うに困った人々の窮余の策、それが庭を潰しての畑作りだった。切迫感ありますね。そう考えてみると、ガーデニングとか言ってチャラチャラ庭を飾っていられるのは幸せな時代ならではのことなのだろう。この幸せをいつまでも大切にしたい、と切に思う。

 だから、芝生を取り払ったあとを菜園にするなら悲しさや不幸せ感が出ないような配慮が必要。そこは今まで輝く緑のじゅうたんと色とりどりのお花が咲き乱れる(いや、それほどゴージャスじゃなかったにしても)ガーデンだったのだ。それを単純にまっすぐな畝が平行に並ぶ野菜畑にしちゃっていいの? そこまで農耕に燃えているのでなければ、あるいはそこまで食べるのに困っているのでなければ、せっかく身に付けたガーデニングのノウハウを捨てることなく、限りなくお庭的、装飾的な空間で野菜を育てることだってアリなんじゃないだろうか。

 というのが、これからの我が庭の開発コンセプトである。実のところ、最近は本業の音楽業界の仕事が激減しており、庭の隅々まで畑にしてわずかながらでも家計の足しにしたいという気持ちが発作的に湧き起こったりするのだが、やっぱりここは家の顔とも言うべきフロントヤード。あくまで収穫よりも美観重視で突き進まなくては!
 ていうか、立派に作物の収穫できるような菜園を作る自信がまったくない、というのが本音なんだけど……。

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2011/12/02(金) | 悲しい家庭菜園 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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